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Masafumi Rio Oda
2023年6月14日
Anti-Automationism
My definitive artistic theme can be called “Anti-Automationism”. The Automationism includes all kinds of art-form where theories and ways...
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Masafumi Rio Oda
2023年3月17日
「音の対象化」という方法
今日、電子音楽の抱える困難は二つある。まず資源の枯渇、そして方法の枯渇である。資源に関して、電子音楽の取りうる方策は2つあった。一つは自然音や既に存在する音を素材とするもの、他方はサイン波などの単純な波形を変形して素材とするもの。どちらも模索の限りが尽くされ、自然や自然音を...
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Masafumi Rio Oda
2021年8月21日
あなたが見ている空は、どうしてトンネルでないと言えるのか?
この世界は、プラトンの洞窟の比喩の内在化である、と考えること、つまりプラトン哲学におけるイデアを消去してなお、洞窟自体が残り、洞窟こそが実在である、と考えることが可能である。 このことを思いついたのは、ネット上でいくつかのCG映像作品を観ながら、良くある表現手段ではあるが、...
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Masafumi Rio Oda
2021年7月11日
美学者って馬鹿なのかな??アーサー・C・ダントーの「アートとは何か」を読んで
エリー・デューリングとは全く異なる主張ではあるが、極めて西欧的なアートの考え方の極端として、ダントーを数えることができる。まず「アートワールド」、という何らか統合された空間は、たとえそれが「開かれている」ということによって主張が弱められていようとも(実際この「開かれている」...
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Masafumi Rio Oda
2021年5月29日
「了解」とはどのような認知的能力であるか―セラーズ『経験論と心の哲学』を参照して
ハイデガー『存在と時間』において、「我々は存在している、ということを了解している」と現存在分析に進むのだが、しかしその「了解」とは、そもそもどういう事態なのであろうか。この記事ではセラーズの議論を参照しながら、それを明らかにしたい。...
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Masafumi Rio Oda
2020年12月29日
ドレイファスらの実在論と、池田一、万城目純のアートとその方法
H.ドレイファス及びCh.テイラー(以後「ドレイファスら」と表記)の「実在論を立て直す」を読む。彼らの大雑把なスタンスは、文脈主義的であり、全体主義的で、さほど哲学的興味を惹くものではない。ここでは、私の哲学と絡め、またアーティスト池田一および万城目純の方法の特異性について...
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Masafumi Rio Oda
2020年12月22日
ラリュエル「哲学と非-哲学」を読んで
ブラシエらの目指す「諸超越から成る超越」あるいは「諸超越から成る非ドゥルーズ的多様性」の実在論は、根源的内在性を大文字の一として措定する非-哲学とは合い慣れないが、しかしブラシエは少々強引にも、非-哲学を己の哲学に積極的に取り入れようとしている。...
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Masafumi Rio Oda
2020年10月23日
【汎芸術家論】すべての人は、機械を絶対に剰余したものを持つ、という希望
資本主義社会である以上、全ては資本という量で測られる。アーティストに話を限れば、「売れる」「売れない」など。特に日本という国家は、諸説あるものの基本的に単一的な民族性によって、価値観が二元化しがちだ。そのこと自体を問題に思っていた時期もあった。自分がやっている、即興の面白さ...
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Masafumi Rio Oda
2020年9月19日
メディアアートのモノ化、への内在的批判
私はここ1,2年ほど、PCやiPadといったデバイスを、他の物と存在論的に同等に扱う「メディアアートのモノ化」というパフォーマンスを実践してきた(画像は、ダンサー・パフォーマーの藤田恵理子とのシアターΧでのパフォーマンス)。しかしながらその実践のうちで分かってきたのは、さし...
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Masafumi Rio Oda
2020年9月9日
欲望からの解脱の方法
人間は欲望の存在であり、またラカンによれば欲望とは他者の欲望であり、ドゥルーズ=ガタリによればそれは欲望機械という生産装置であり、資本主義は欲望の構造と言われるがしかし既に資本主義以前に人間存在間の関係は欲望関係である。...
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Masafumi Rio Oda
2020年8月28日
ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』は、現代(CG)映像作品解釈に有効か①
私は映画を好まない、映像作家であるにも関わらず。しかしそれは何故か。その問いは、半ば燦然たる映画史における名作の参照を行わないための消極的な理由によって説明されてきた。しかし、ドゥルーズがシネマ2で、映画の枠内ではあるが、それが古いリアリズムや行動イメージから、光学的・音声...
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Masafumi Rio Oda
2020年8月27日
アドルノ『否定弁証法』と私
アドルノの『否定弁証法』は、学生時代よりいつか読みたいと思っていた。今読むと、古色蒼然としたところはあるし、根本的に私の思考とは合い慣れない。以下、アドルノと私の対話の記録である(内容はかなりハードボイルドである)。*NDとはNegative...
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Masafumi Rio Oda
2020年7月27日
【若気の至り】と赤子―表現者の在り方について
単純な年齢では、若者とは言えなくなってきた。しかし、若いということが、常に挑戦し、既成の制度に立ち向かい続けることを意味するのならば。評論家の構成する言説空間を破壊しなければならない。彼らの饒舌なエクリチュールでは追い付けない、無限の速度で運動し続けなければならない。彼らの...
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Masafumi Rio Oda
2020年4月29日
バディウ「存在と出来事」完訳によせて
バディウの達成は、一つの頂点であり、また反省されるべき過剰であり、化け物じみた極端であり、これを、またこのスタイルを継承すること、あるいは後続の議論を模索することは、出来ない。だからこそ、弟子のメイヤスーはそのようなスタイルを取らなかった。それは、哲学的内容以前の問題である...
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Masafumi Rio Oda
2020年3月14日
精神とは何か その1
これから、複数に分けて、「精神」というある意味学問的には使い果たされ、他方で非学問的な「スピリチュアル」という語でもって今日的観を呈している、概念について論じる。 ちなみに、私の思想において、「精神」と「思考」とは厳密に区別される。「思考」については「クロストーク7号」で詳...
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